何通目だったかな

こわくて、こわくて。

なんだか、なにもかも。

書くことも。読むことも。

聴くことも。語ることも。

 

わたしはしっぽのようにあなたの背中にへばりつく。

あなたは無意識にしっぽをあやつる。

あやつっていることさえ、たぶん気づいてはいない。

 

どうしたらいいかわからない。

めちゃくちゃになっている遠い人をみても、

その気持ちが生々しく、手に取るようにわかっても、

わたしは声をかけることができない。

声をかけてどうするっていうの。

 

たとえば誰かが去ることをとめたとしても、

そのあとその人がどうやっていきていくかを支えることなんてできない。

だったら声なんてかけないほうがいい。引き止めなくていい。

それは間違いなのだろうか。

 

気持ちだけでも伝えたらいいのだろうか。

ただ無責任に、今後なんの保証も手助けもする予定はないけれど、

ただあなたが遮二無二がんばっているところをこれからも眺めさせてくださいって。

それがまわりまわってわたしの活力になるんですって。

 

あなたの姿に元気をもらいました、なんて

そんな傲慢なこと言えない。

 

それでも人間が生きてること、この世のものの生命活動って結局はそれ。

こんなにキラキラしてるんだったら、自分ももうすこしがんばれるかなって

勘違いさせるほどのキラキラぶり。

前向きでも後ろ向きでも関係ない。

エネルギーがどちらを向いているかよりも、その大きさが大事。

 

たとえばどうしようもなく悪いことを誰かがたくらんだとしても、

それに反発する力がかならずどこかで生まれて、集まってくる。

逆もおなじ。

光あるところには影がある。

だからわたしたちは絶えず力を発揮していく必要がある。

それがまわりまわって地球のエネルギーになっていく。

そう感じている。