二通目 時には昔の話を

おトキさんのうた、いいよねー。

紅の豚」のジーナさん役がイメージぴったり。

時には昔のはなしを、って大体いつも昔のことばかり考えてしまうかも。

会うと、花が咲くのは昔のはなしばかりだしね。

じぶんが子どものころとか学生のころ、「いまつくるともだちは一生の財産になるから大事にするんだぞ」なんていう大人がたくさんいたじゃない。

あの気持ち、わかるわかる、ってかんじ。

大人になるとまず自己紹介からはじめなくちゃならないし、立場もひとそれぞれだし、あのころみたいにみんなで同じ教室にいて「せーの」というのがとても貴重な瞬間だったんだなってのがわかる。

 

これからの希望はなんだろうな。

夢をもたないと、ひとのこころはしんでしまうね。

最近とくにそうおもう。

将来の夢なんて大それたものじゃなくても、ちょっとした楽しみでも、これがあるから一息つけて、リラックスできて、泳いでいるときの息継ぎみたいな。

それがしぜんにできてるうちはいいけど、あまりに視界がせまくなってしまうと息継ぎを忘れてどんどんくるしくなってしまうからねぇ。

 

わたしは家族をもつにはあまりに未熟なにんげんだったんじゃないか、って最近すごくおもう。

「そんなことないよ」って言ってほしいわけじゃないから、ただ自然現象をみるような感じで受けとってね。

けっこう、じぶんだけのことで精一杯なんだよね、なんだか常に。

とくに一日の時間はかぎられていて、そのなかで生活していくためにごはんを作ったり、食器をかたづけたり、部屋を片付けて掃除機をかけたり、洗濯機をまわしているあいだに乾いた洗濯物をたたんでしまって、天気がべらぼうによければ布団カバーやシーツなんかも洗って乾かして、そんなことやっているあいだにみんな寝静まった夜になっているかんじ。

独身のころは、そういうの最低限やらないで暮らしていたのね。自分ひとりだし。食べ物も掃除もなんとでもなるっていうか。まあ、ずぼらといえばずぼらだよね。

そうやって空いた時間で働いて、仕事をしながらも空いている脳の部分で考え事をして。

なーんでそれに飽きちゃったのかなー。

すごく贅沢なひとときだったのになー、と今でもすこし悔やんでる。

ああいう人生をいとも簡単に手放してしまったことについて。

 

まぁ、こうやって家族を持ってしまった以上は、もっともっと年老いてよぼよぼになるまでなんとなく生きていくんだろうなとはおもうけど。

 

人生の伴侶とはよく言ったもので、いつも同じ屋根のしたで顔を合わせるメンバーってのはと・て・も・重要だよねぇ。

 

それでも時間のハコのなかに閉じ込めて、時が経つにつれて煩悩が消えて、よかったことだけが残ればいいなあなんて、時間という魔法を信じすぎてる最近。

 

こうやって手紙をしたためているじかんも、貴重な息継ぎの時間なんだよ。

ではまたね。