六通目 愛をきざむ

考えれば考えるほど、「無常」が沁みてきてこわいです。とくに愛。とくに愛。とにかく愛。わたしはとても惚れっぽいけれど気持ちが長持ちしません。だれかをずっと愛することができない。すき、とかきらい、とかそういうのが入り混じってもずっと見放さない、気持ちは離れずにいていつでも手を伸ばせること。それが「愛」だと思うんです。でもわたしは「きらい」のポイントが一定数に達してしまうと、見放して、手放して、逃げ出してしまう。だからずっと愛してるひとなんていないし、ましてや愛されもしません。あ、母親は多分、愛情を持ってくれているのかもしれません、いまでも。だけどそれはきっと、幼い頃のわたしにむけた愛の残り香みたいなものが残っているからおたがいにそう感じてるだけじゃないのかなと。

 

なぜなら、わたしがこのさき我が子に抱く愛情が、ずっと変化しないとは言いきれないからです。

 

幼い息子はまるで無条件のようにわたしに抱きついてきます。まま、だいすき、とこの上ない好意の言葉を唱えながら。わたしにとっては地球上でいちばんかわいい生命体です。やわらかい頬っぺたとおしりとさらさらの髪の毛をもった、かわいいかわいいこども。

それらは成長にともなってかたちを変えていきます。男の子なので、いまの頭から抜けるように甲高い声は父親のように低くなるのでしょう。髭もはえるでしょう。母親なんて、呼ぶこともしなくなり、返事すらもろくにしなくなるのでしょう。

さみしいことですが、こどもの成長は大きなよろこびでもあります。いつか独り立ちするために、わたしたちは彼に日々いろいろなことを伝えているのですから。

 

ただ、いま目の前に存在するものが、常に変わりゆくのがただただかなしい。この抱いている愛情が、どんどん時間の流れに追いやられて見えないところまでいってしまいそうで。

 

せめて強く残り香るように、いまできるかぎりの愛情をそそぐこと。それだけがわたしにできることなのかもしれません。