十一通目 いないあいてによびかける

暑いです。今日は暑かった。おもわずアイスクリームでも食べようかとおもうくらい暑かった。食欲、不自然になくなったらなくなったでさみしいもので、自然におこる食欲をとりもどすという方向にがんばってしまった。反動というものだね。このごろはただ、老いていくことがなんだかかなしい。若いときにこんなムダな若さはいらない、とおもっていた罰かもしれない。だれのめにもとまらない枯れ葉のような日々。踏まれたときに音もたてない時点で、枯れ葉よりも存在感が、ない。わたしには芯がない。なんの信念もない。おはなしを書こうにも、テーマがみつからない。ただ、いま幼い子どもが必要としているから、そのためだけにいきているようなもの。我が子がみせるかわいさはそれのボーナスみたいなもの。だからいずれそれがなくなったときがこわくてしかたない。確固たる、愛するものがない。永遠の愛にたどりついたひとにあこがれる。わたしには為し得なかったこと。

わたしにはかつて愛するひとがいた。そしてじぶんは愛されていると確信もしていた。でもだめだった。そのひとがもうわたしのことに嫌気がさしている事実をつきとめてしまったとき、血の気がひいた。世界中の色という色が消えてしまったように感じた。その愛をつらぬくことがじんせいの願いだったのに、あっさりと夢はやぶれ、からだはどんどん年老いていく。そうなるともう、そのひとと出会ったことさえ悪夢のはじまりみたいにおもえてくる。あのころの浮かれたじぶんをハンマーで脅してやりたくなる。そんな、みる価値のない夢なんてさっさとすてて、じぶんのじんせいをいきなさいよって。でもわたしはいまでもときどきかんがえる。あのままあのひととじんせいを過ごしていたらどうなっていたのかな。あのひとのこころが変わらずに、おたがいにじぶんをたいせつにしながら、相手のことも思いやれる日々をおくっていたら、どんなふうになっていたのかな。

それはパラレルワールドみたいなもので、ものすごく遠いけど実際にあるような気がしてくるくらいに、想像するうちにリアルになって、現実のわたしを食いつぶしていく。

あちらのわたしへ。そろそろ交代のじかんではないですか? ちがいますか。そうですか。